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浄土真宗本願寺派
信浄寺
寂照山
ようこそ、お参りくださいました
信浄寺 掲載用
岐阜市加納清水町1丁目29番地
お寺の歴史
お寺の歴史
< 草創期について >
記録によれば、摂州谷田部谷上(現在の兵庫県神戸市と思われる)に初代の源用が住んでいたとあります。当初は太子堂であったともいわれ、寂照寺という道場であったと伝わります。
開基の年はわかりませんが、応永22年(1415年)に本願寺三大宗主覚如上人(実際には六代目巧如上人と思われる)が、寂照寺を訪ねられた時に『聖徳太子六侍者像』と『和朝高僧十六体連座像』を授与されたとあります。その後第二世源誓の時、本願寺八代蓮如上人が文明年間に訪ねられ、阿弥陀如来尊像(後に描かれた如来像)と六字尊号(南無阿弥陀仏の六文字)を授与されました。
明応5年(1496年)に蓮如上人が大坂石山に坊舎(後の石山本願寺)を建立されるにあたって道場を西成郡野田村(現在の大阪市福島区)に移すことになりました。
天文元年(1532年)山科本願寺が焼失し本山を大坂石山に移されました。この頃戦乱の時代で本願寺も争いに巻き込まれました。
天文2年(1533年)宗主第十代証如上人がこの地を訪れた際に六角定頼の兵に襲われましたが、野田村の門徒衆が自分たちの命をかけて上人を守ったと伝わります。この時門徒衆は21人が討ち死にしたと伝えられます。寂照寺はこの門徒衆を率いていたといわれ、野田御坊と名乗ることを認められたようです。現在、信浄寺住職は野田といいますが、この時からのご縁と思われます。


< 加納の町へ >
さて、加納宿とのご縁になりますが、慶長8年(1603年)岐阜に本願寺地方教化の中心として坊舎が建てられました。現在の本願寺岐阜別院(西別院)です。現在の別院の名は明治9年に改められた名称で、それまでは岐阜御坊、西野御坊と呼ばれていたようです。
元和4年(1618年)に本願寺第十二代宗主准如上人に信浄寺第五世了念が西野御坊の留守居役(現在の輪番)を命ぜられ、来任しました。7年間岐阜坊舎(西野御坊)に住することになりました。
その後、准如上人が、了念に加納の地に寺を移すように命ぜられ、中山道沿い加納五町目本尊を安置されました。この時、本山本願寺より信浄寺の寺号をいただき、それまでの寂照寺を山号にして寛永4年(1627年)「寂照山信浄寺」と名乗り現在に至ります。
その後、元禄13年(1700年)加納の町の大火によって一山類焼、寛永2年(1705年)加納城主松平丹波守光永公により再建、昭和20年に岐阜の空襲により本堂、山門、庫裏が全焼、戦後すぐに仮の本堂が建てられましたが、平成5年に現在の本堂が再建され、落慶法要をお勤め。平成26年に山門が再建され、親鸞聖人750回大遠忌法要を勤めることができました。
住職あいさつ
住職あいさつ
信浄寺住職の野田了雄です。お寺に興味を持っていただく機会になればと思います。そして、仏法(仏教)について身近なものになり、私たちの生活に大切なものと考えてもらえればと願っています。

年間行事
2026年の行事
< 元旦会 >
1月1日 9:00~9:30
新年を迎えるための法要であり、浄土真宗の教えを学び、新年の誓いを新たにするための行事です。元旦会では、正信偈のお経を勤め、仏様に新年のお参りをします。

< 花まつり >
4月12日(日) 14:00~15:00
花まつり(灌仏会)は、毎年4月8日にお釈迦様の誕生を祝う仏教行事です。花で飾った御堂に誕生仏を安置し、甘茶をかけてお参りする風習が一般的で、子どもの健康や成長を願う意味もあります。お釈迦様が誕生した際に天から甘露の雨が降り注いだという伝説に由来します。
< 永代経 >
5月12日(火) 13日(水)
永代経(えいたいきょう)は、お寺がこれから先もずっと続き、人々が仏さまの教えを聞ける場所を守り続けるために行われる法要(仏教の行事)です。
< お寺で落語会 >
9月20日(日) 14:00~15:00
「エー、小噺を一つ」といった「まくら」から始まったりする落語という話芸のルーツも、仏教にあるといわれています。今回は岐阜大学落語研究会の学生さんによる面白おかしい落語を聞かせてもらえる場を作りました。「お寺で落語!!」ご期待ください。
< 報恩講 >
12月14日(月) 15日(火)
報恩講(ほうおんこう)は、浄土真宗において宗祖・親鸞聖人の命日(旧暦11月28日、新暦1月16日)を縁に、そのご恩に報いるために行われる最も大切な法要で、親鸞聖人が師である法然上人の命日に集まって仏 法を聴聞したことに由来し、寺院や家庭で、教えを深める機会とされます。
信浄寺の宝物
信浄寺の宝物
< 聖徳太子六侍者像 >

< 和朝高僧十六体連座像 >




